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霊仙山 白谷 | 保月(ほうづき)近江野ざらし行 (宇野柏葉著)掲載写真 |
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多賀町から一円 栗栖 河内 安原の集落を通り抜け 権現谷へ そこから白谷の長い林道を走って霊仙の裏側へ 行きました ずーーと前行ったコースです 石灰岩と秩父古生層 それにチャートが混じる地層があります 権現谷は三葉虫 ウミユリ さんご フズリナの化石があるところです 三葉虫はなかなか見つかりませんが フズリナ(米粒石) ウミユリの細切れは見つかります 雨の後石が濡れているとわかりやすいです 関西では権現谷は化石の産出で意外に有名です でも林道は石灰岩の地層で崩落が激しく 転石がいたるところであります 林道は崩れた土砂の取り除きの繰り返しです |
河内の集落へ行く途中です 水が透き通っています | 権現谷の行者橋 林道の両端は切り立った高い崖が続きます | 深い深い谷に沿って林道がくねくね走っています |
芹川上流 清らかな水が流れています | 廃校になっていました 窓ガラスも割れ カーテンが剥き出しになっていました 子供達のにぎやかな声がもう聞こえてきません | 河内の安養寺 明治時期火災で再建されました 霊仙山の山頂に建っていた支院として769年に創建 霊山三蔵が使僧として訪れたと書かれていました |
霊山三蔵の顕彰碑がありました 霊山三蔵が山頂の霊山寺で学び興福寺の僧となり 遣唐使として渡りました 長安でお経の訳経で三蔵の法号を授かり唐五台山で日本に帰らず没しました | この境内には一石五輪塔がたくさんありました | お堂は立派な彫刻がされた建材で出来ていました |
宝筐印塔の残欠もありました | がっちりした藤棚 雪深いところなんでしょうね そのまわりにも | 長い長い村落の歴史があらわれていました |
風雪にさらされている感じが 朽木の寺社も同じですが白っぽくなっています | 山合いの大きな立派なお寺でした | 六地蔵が刻んでいました |
河内の風穴(ふうけつ) 人一人がかがんで入る入り口 でも中は大きな鍾乳洞 奥は三重県側に続いているとか?大きな鍾乳石はあまりなかったです 今日はここは前を通りすぎて先へ進みます | だんだんと水の流れが無くなってきます 地下を流れています 枯れ沢 石灰岩の色っぽさが目立ってきます | 大きな石灰岩がごろごろ 化石採取の人が岩を割った後もあります 三葉虫がでたところ |
渓谷の狭まったところ両岸は高さ10メーター以上 | 今回は権現谷から白谷へ さらに登って行きます | ここでも蜘蛛が狩人に |
梅花うつぎがありました! | 梅の花に似ています お茶花になりそう 気品がありました | やまぼうし 今が盛りです 何度も見られました 贅沢 |
霊山からの風景 | ||
鈴鹿の山並み 御池岳 藤原岳が望めます 奥は三重県 | 山向こうは三重県 | 霊仙の山頂はあの頂からまだ右に行った奥 |
尾根筋 森林限界 あとは熊笹 低い潅木 石灰岩が露出しています カルスト地形 | 高台 落ち窪んだドリーネ | 森林が伐採されていますからよくわかります |
霊仙山山頂を望んでいます | ここまでで山頂に行くのをやめました あーしんど | まゆみなどのの低木に 熊笹が生茂っています |
琵琶湖側の風景 | あの山の下から登ってきました車で半分以上ですが | かっこう うぐいす ほおじろが鳴いていました |
登りながら撮りました | ||
白谷の林道終点から道がありません 真横を横切って検討をつけて獣道みたいなところも通って傷だらけになって 従来の道にやっとでます そこも笹が背丈よりあります トンネル見たいです | ここが登山道 真っ直ぐブッシュを漕いで登ります がさがさ泳ぐように さちあいはうまくトンネルの中を進んで行きますが人間は ちと しんどいです | つる 何のつるかわかりません こうもりかずら? |
形がいろいろ変化してました | はんしょうづる 道のない獣道でみつけました |
2センチぐらい おうまいまいになるんでしょうか? |
ブッシュを抜けると急な一直線の登り坂 | はぁはぁ 息が切れます 汗もずっくり 久しぶりのさわやかな びっしょりの汗 | あいの方が元気 獣道で迷子にならないかと心配しましたが2匹一緒に行動していました |
みやまいぼた いぼたの木より小型? | うまのあしがた きんぽうげ みやまきんぽうげ? 霊仙中腹にぽつんぽつんと咲いていました | うつぎ ここのはちょっと違うのかな? わかりません ひめうつぎに まるばうつぎがありますが |
てんとう虫 | 稲科 こんなんがひゅーひゅーと出ていました | たんぽぽ 伊吹山固有の伊吹たんぽぽというのがあるんですが |
しもつけ 背の低い潅木 花びらが内側にまるまっています | これは?変なんですね 花びらが目立ちません | おしべだけのように見えます |
ハサミムシ? こんな山の上にもいたんですね | ひめふうろ 下痢止めによくきくらし 小型のかわいい花 | 山のらっきょう ? |
二人静 潅木の下 少し日陰で咲いていました | 石灰岩に生えるしだ | ?くさふじ |
ひよくそう いぬのふぐりの仲間です | ||
中腹 林道の終点から下へ帰ります | ||
やっと林道に出ました | さちもね 耳に少し怪我をしました 体は小さな ダニだらけ指のまたにもダニが お見せできません 帰りにダニノミの首輪を買いました | やっと水が飲めました 霊仙山 中腹 さちあいが もう喉がからからに乾いてるのがわかっていましたから |
うわばみそう が茂っていました軸の葉の付け根に黄色い花が咲いていました | さるなしの花 キュウイと同じ仲間です おしべが黒くなっています | みやこぐさ ここの道端にも咲いていました |
やまぼうしがきれいに見えました | やまぼうし 白いちょうちょが ひらひら | 気高くて 触れば壊れる白磁の器 |
?わかりません 今の時期赤い実はめずらしんですが | ? | ちだけさし ちちだけ というきのこを差して持って帰るのに使ったから |
やまあじさい 色の変化がおおいです ここのは鮮やかな紫色 | 両性花と装飾花があります これは両性花 がくのあるのが装飾花 |
いわがらみ 大木に紫陽花みたいな花をつけていました |
さわぎく (ぼろぎく) か細そい菊 あざみのような葉っぱをつけています 小さな黄色い花がぱちぱちと | あさがらです 白い藤の花みたいに見えます | あさがらの花です |
うすばしろちょ もう疲れているようです 羽根がぎざぎざになっています 丸みがあるんですが | もんしろちょうがたくさん水を飲んでいました ミネラルの補給でしょうか | |
保月の集落へ | ||
しらだにを降りて左が五僧島津越え 右が保月 鍋尻山 五僧は集落が2戸 今は?島津越えは関が原の戦いの時島津義弘が通った道 近江 と美濃の山境をこえます |
保月(ほうづき)以前は16戸24人て書いてありましたが もう少なそうです 600メーターの鍋尻山のへこんだドリーネにあります | |
権現谷 やっぱり急なV字谷です | 姫ふうろが保月に行く途中にもありました 葉っぱがくさもみじになって赤くそまっています | まんねんぐさの仲間 石灰岩の崖に咲いていました |
最近 ハサミムシの仲間をよく見ます ここにも威嚇しています | 五僧越え 来栖から五僧までの道です 真中に保月があります 鍋尻山は右手のほうかな? | 土砂が崩れても日常茶飯事 また均して 車が行き交います |
うりのき きれいな花 ! | 花びらがくるーと巻いて 良い時期に出会えました | きつりふねそう もうそんな季節? |
こたにわたり しだの仲間です | 苺の仲間です | 集落が見えてきました もとの脇が畑村の中心 |
照西寺 鐘撞き堂 石灰岩の土台 | 人の気配がしませんでしたが | 本には天台宗から真宗へ 堂内は極彩色の欄間や鴨居の遺材が使われているとか |
隣の庫裏です | 八幡神社 | |
草刈がちゃんとされています | 奥の本殿 | |
郵便局も脇が畑小学校もあったんですが 今はありません | 慶長五年 (1600)関が原の戦いで破れた島津軍が一夜 ここの集落で接待を受けたとされています 毎年8月15日ごろ その故事により島津の人が訪ねて来られるとか 今も訪れて来られるんでしょうか? | |