あの戦争で犠牲になった兵士は戦わずして餓死していった人達がなんと多いことか。
 「お国のため手柄をたてずに死なりょうか」  お国のために死ぬことを美化した 掛け声 鼓舞ですが 
 戦争末期 食料 武器すら満足でなく兵士とは言えない状態で屈辱と教育され捕虜になることもできず死ぬしかなかった悲惨な最期。
 日本の兵士も民間人も相手国の兵士も侵略されたアジアの方々もみんな犠牲者です。
 誰によって? それは天皇をはじめとする戦争遂行者。 これは無謀な戦争をはじめたもの すすめていったもの 2度と戦争をしないためにもはっきりしておかなければならないこと。  
おっちゃんの家に おやじのアルバムのなかに戦争中のむごたらしい中国人の処刑の写真がありました。子供の時から恐いもの見たさで、ずーーと見ていた写真。
今考えてみれば こんな写真は当時中国の八路軍を追撃するための武勇伝?兵士の士気を高めるため?いずれにしても人間性が麻痺し狂気の時代へ突入していった暗黒の時代を物語っています。
 あの中国人は?その家族は?と思わずにはいられません。そして南京の大虐殺と重ねあわして考えさせられます。どうしてなかった否定できるのでしょうか?  
 戦争での犠牲者は日本の兵士 民間人 侵略されたアジア諸国の人達。数多くの尊い命が失われました。 
 いくら戦争を美化しようとも戦争は、人間の尊厳すらを否定し、利潤を生み出すために殺戮と破壊をしつくす。 それが戦争の本当の姿。   
自分の国 相手の国の平和と自由を踏みにじるもの。
       


おっちゃんは古道具屋ですから 昔の戦争のものが出てきます。防毒マスク 軍服 国民服 教練の銃剣 ぼろぼろの長靴 ゲートル 検閲塗りつぶされた軍事郵便。 夢?を誘う満鉄のパンフ 防空頭巾 、、、
 まだ歴史の流れから言えば ちょっと前の遺物です。 
「もう靖国神社から戦死者の霊を故郷に返したったらええのや。亡くなってからも国に軍隊に、いつまでも繋ぎ止めなくともええのやないか。お母さんの元に返したれなはれ。」この坊さんは元憲兵。
 
 ほんとうに そう思います。もし魂 霊があるとするならば、靖国の桜の木の下から もうそれぞれ故郷のやすらぎの場所に 
この日はおっちゃんにとっても戦争をあらためて考える日にもなりました。終戦 敗戦で友達と世間話をしてました。
 泥沼の戦争がやっと終わったという国民感情から言ったら終戦。
基本的には強引、無謀な侵略戦争が当然のごとく負けた敗戦の日ですが。ああやこうやとね。 結論は負けでやっと終わった不戦の誓いをあらたにする日。
 それにね 靖国神社に多くの戦死者が祭られていますが。国のために戦って犠牲になられた御霊 戦犯も合祀されてますが。
ある寺の坊さんがいいことを言ってました。ちょっと印象に残る言葉です。 
 帰省のラッシュ ちょっと まだ早かったですが NHKが少し多めの乗客を大げさに?無理やり?混雑状況を作り出して撮影していました。撮影をしているところを 撮影するのもおもしろいです。
16日17日がピークかな?分散型か景気の悪さを反映しているのかな?  ちょっと、うがったおっちゃんの斜めから見た帰省風景でした。 
 
ホームはどんどん気温があがりむんむんしていました。 40度にも達しています。何年か前に比べるとやっぱり 温暖化現象? ビルというビルがクーラーからの放熱  街中が吐き出された熱気であふれています。以前は結構ホームも涼しかったみたい。 大きなビルも遮っていなかったしね。
この日は終戦記念日。靖国神社公式参拝で大揺れに揺れました。おっちゃんは戦争を知らない世代。まあ、知らないと言っても おっちゃんですから今の若い世代ではではありません。団塊の世代です。自分でおっちゃんと言う事に抵抗もありません。おっちゃんですから。
子供はパソコンが好きです。、マウス遊びも大好きです。 おっちゃんは楽です。スイッチを入れて!と言えばちゃんと入れてくれるし 
おっちゃんの部屋は子供達にとって 不思議な部屋 それにね 変なガラクタはいっぱいあるし 
  パソコンはテレビと違う楽しさが、、 パソコンからプリンターで、きれいな印刷された紙は出てくるし 魔法の部屋です。 
独り言


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